ハレルヤ、感謝します

ここ数週間、体調が悪くなり、みことばをお分かちすることが出来ず、大変申し訳ありませんでした。

今日からまたスタートさせて頂きます。

これからもどうぞ宜しくお願いします。


さて、今日はイースター、イエス様が復活されたことを覚えて感謝する記念日です。

そこで今日は、私たちの信じている福音ということについて、ご一緒に学ぶこととしましょう。


さて、福音とは何でしょうか。どうやったらクリスチャンになれるのでしょうか?

案外、この一番重要な部分を誤解している方が多くいらっしゃるのかもと、最近感じています。

ではその福音とは何でしょう?

今日は第一コリント15章3-5節のみことばから学ぶこととしましょう。



第一コリント15:3-5


最も大切なこととしてわたしたちがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。

すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。



実はこの箇所、福音がぎゅっと凝縮された箇所なのです。

この箇所を見ると、福音には三要素があることがわかります。



1、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと:

イエス様は、私たちの罪を取り除くために、十字架にかかって呪われた死を遂げてくださいました。


旧約聖書の申命記21章22-23節にこうあります。


ある人が死刑に当たる罪を犯して処刑され、あなたがたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。

木にかけられた者は、神に呪われたものだからである。

あなたがたは、あなたの神、主が嗣業として与えられる土地を汚してはならない。


「木にかけられた者は、神に呪われたものだからである。」

これこそ、イエス様の十字架です。

イエス様は私たちのために、本来私たちがかからなければならない木にかかってくださったのです。



時に、イエス様が十字架でなくてもよかったのではないのかという人がいます。

しかしそれは大きな間違えで、絶対に十字架でなければならないのです。

石打では罪の贖いになりません。

なぜなら、木にかけられた者が呪われた者となるのだからです。



旧約聖書の時代は、いけにえの動物を捧げ、その血によって罪が覆われました。

しかし、覆われたのであって、消え去ったのではありません。

血という覆いの下には罪があるし、捧げる大祭司も罪人です。

だから一時的な効果しかないのです。


しかし、イエス様は人の姿を取って地上生涯を歩まれ、最後に、ご自身の命を贖いの代価として差し出してくださったのです。

これが十字架の意味であり、ここに愛があるのです。




2、墓に葬られたこと:

イエス様は十字架で死なれた後、墓に葬られました。

この「墓に葬られた」ということは、実はとても重要なことなのです。


ローマ法では、十字架に架けられた罪人は埋葬されず、そのまま放置されました。

だから鳥がその死骸を食べ、地に落ちたその死骸を野の獣が食べたのです。

だから十字架刑は本当に酷い刑であり、決してきらびやかでもおしゃれでもありません。

もともと十字架は見せしめの刑です。だから埋葬せず、最後の最後まで放置するのは当然です。



でも、イエス様の場合はそうではありませんでした。

ヨハネによる福音書19章38節を見ると、アリマタヤのヨセフという人がピラトに自分のお墓に入れて埋葬したいと願いでたとあります。

このアリマタヤのヨセフという人、密かにイエス様を信じていたユダヤ人の弟子で、お金持ちの人でした。

この人が最後の最後に勇気を振り絞って、イエス様を埋葬する許可を求めたのです。

また、イエス様にどうしたら生まれ変わる事ができるのか質問したニコデモも協力しました。


このことをイザヤは預言しています。

彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに、その墓は神に逆らう者と共にされ、富める者と共に葬られた。(イザヤ53:9)


イエス様がお墓に埋葬されたということは、完全に死んだということです。そしてイエス様がメシアであることを証明しています。

なぜなら、イエス様がお墓に葬られたことによって、次の復活があるからです。



3、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと:

イエス様は復活しました。

これは客観的であり、歴史的な事実です。


イエス様は金曜日の午後3時に十字架にかかられ、土曜日が安息日、安息日が明けた日曜日の朝には復活されたのです。

イエス様が復活されたことは旧約聖書で預言されています。

あなたはわたしの魂を陰府(よみ)に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見せず(詩16:10)

イエス様は墓におられないのです。何故なら、イエス様は復活されたからです。


そしてペテロやその他の12弟子に現れ、そして500人以上の人たちと会いました。

そして最後にパウロにもお会いになられたのです。

イエス様の復活は、これだけの証人がいるのです。




イエス様が復活されたこと、それは父なる神様がイエス様の死を贖罪、つまり犠牲の捧げ物としての死であることを受け入れてくださったことの証拠です。

イエス様が十字架上で呪いとなられ、血を流されたこと、それは私たち全人類、そのとき生きていた人、そして未来人、つまり私たちの罪を一心に身に負われ、その犠牲の捧げ物を父なる神様が受け入れられ、今、私たち信じる者の罪が取り除かれ、自由とされ、クリスチャンとなったのです。


イエス様が復活したこと、それは初穂です。つまり、将来、私たちクリスチャンもイエス様のように死者の中から復活することを経験するのです。


これが福音の三要素、イエス様が私たちのために十字架で死なれたこと、墓に葬られたこと、三日目に復活したことです。



あなたはこの三要素を信じますか?

アーメンなら救われています。立派なクリスチャンです。

それだけでよいのです。逆にそれ以外のもの、たとえば、洗礼を受けなければクリスチャンになれないとか、そういうことは絶対にありません。

もしそうなら、信仰によって救われるということでありません。業です。

単純にこの三要素を信じ、そこに信頼するだけ、それ以上必要ありません。



どれだけ教会に行ったか、聖書を読んだか、社会の役に立ったか、クリスチャンらしい振る舞いをしているか、そんなものはどうでもいいです。

振り回される必要はありません。

これらのことは、信仰の実であって、救いとは何の関係もありません。



イースターはこの福音の三要素を感謝し、イエス様を見上げ、礼拝する日です。

でも逆に言えば、私たちはこの日、3月31日だけがイースターではないのです。365日24時間イースターであり、クリスマスなのです。

ご一緒にこの福音の三要素を感謝し、イエス様の復活を心いっぱい賛美し、礼拝する時としましょう!



祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。。

でわでわ~




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