こんにちは~

今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう

今日の聖書箇所は前回に続いてローマの信徒への手紙11章28節です


―――――――――――――― 今日のみことば ――――――――――――


福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。



――――――――――――――今日のお勧め――――――――――――――  



今日の箇所はとてもわかりにくい箇所かもしれませんね。

福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対しています。
神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています

これだけを見ると、すごく理解することが難しいなと感じます。

「福音によれば」とか、「神の選びについてい言えば」と言われると、すごく混乱してしまいます。

これは訳の問題もあるかもしれませんね。。。


でもこれ、「福音」とか「選び」とか言っていますが、これ、両方共イスラエルと神様との関係を言っているんです。

だから、「福音について言えば」っていうのは、「福音とイスラエルの関係を見れば」っていう意味です。

そして、「神の選びについて言えば」というのは、「選びとイスラエルの関係をみれば」っていうことなのです。

こうすると、わかりやすくなると思います。




ではこの二つを見てみましょう。

まず、前半の部分です。

福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対しています。


はじめに、この二つ、つまり「福音」と「選び」ですが、これはイスラエルの今の状態を言っているのです。

つまり、イスラエルは福音においては神様から離れて、しかも敵対していますが、でも神様の選びにおいては、神様に愛されているのです。

ユダヤ人はこの二面性を今この時代においても持っているのです。


で、この前半のみことばですが、そのとおりなのです。

イスラエルは福音を拒否しました。

イエスキリストはイスラエルの王として、イスラエルの救いのために来ました。

それなのに、そのイエス様の救いを拒否し、しかも十字架にかけてしまいました。

今、この時代においてもイスラエルは神様を拒否し続けています。



熱心なユダヤ教徒の人はいますね。彼らは神様に対してものすごく熱心です。

それなのにどうして拒否していると言うのでしょう?

拒否どころか、飢え乾いて求めているようにも見えます。

しかし、それは間違った求めなのです。



何故なら、イエス・キリスト以外に救いはないからです。

そのイエス様を拒否している限り、彼らは神様に敵対しています。

現に、今、メシアニック・ジューと言われるユダヤ人でイエス様の十字架と復活を信じている信者の方は、ユダヤ人社会においては村八分状態です。

彼らは福音を拒否し、神様の御子イエス・キリストに対して敵対状態なのです。


でも、このみことばを注意深く見てください。

「あなたがたのために神に敵対しています」とありますね。

「あなたがた」って誰でしょう?

それは私たち異邦人クリスチャンのことです。

この手紙の読者はユダヤ人信者もいましたが、異邦人クリスチャンが多かったのです。



異邦人である私たちは、ユダヤ人が福音を拒否した結果、救いの道が開かれたから、それは感謝なのです。

この「あなたがたのために」というのは、「あなたがたが祝福を受けるために」という意味です。

神様は私たち異邦人のことを覚えてくださり、私たちをも祝福してくださろうと、御手を伸ばしてくださっているのです。


しかし、同時に、本来祝福を受けるはずのユダヤ人は未だ福音に対して目が閉ざされ、神様と敵対関係にあります。

これはとても悲しい現実です。

私たちが救われたのは、ある意味ユダヤ人のおかげです。

なぜなら、彼らが拒否した結果、福音が異邦人に流れて来たからです。

先に救われた者として、ユダヤ人のため、彼らの救いのために真剣に祈りましょう!



さて、28節の後半を見てください。

神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。

神様の選びについて言えば、ユダヤ人は神様に愛されています。

だから私たちはユダヤ人に対して批判をするのではなく、神様の愛を受け取ることが出来るよう、祈らなければいけないのです。




この箇所を見てください。「神に愛されています」とあります。

決して「神に愛されていました」ではありません。

現在進行形で、今もユダヤ人は神様に愛されているのです。



ではどうして神様はユダヤ人を未だに愛しているのでしょうか?

神様を散々裏切り続け、神様に敵対している人たちです。

神様はどうしてその人たちを未だ愛し続けているのでしょうか?




この箇所で、「先祖たちのお陰で神に愛されています」と書いてあります。


「先祖たち」

先祖たちとは誰でしょうか?

それは「族長」と言われる、アブラハム、イサク、ヤコブのことです。

つまり、アブラハム、イサク、ヤコブのおかげです。




彼らが何か特別なことをしたのでしょうか?

いいえ、していません。

彼らの努力の結果ではありません。


そうではなく、神様がアブラハムと一方的に結んだ契約によるのです。


神様はアブラハムと「あなたとあなたの子孫は祝福される」と契約を結ばれました。

そして、当時、契約を締結するのに動物を裂き、その動物を人が通れるスペースを開けて両側に置き、その間を契約を結ぶ二人が渡って、「もし破ったらあなたもこの動物のようになるから覚悟するように」っていう硬い契約を結ぶ形を取っていました。


アブラハムと神様もその契約方法で結ばれました。

しかし、神様はアブラハムがそのための動物を裂き、裂いた動物を置いた時、深い眠りに入れられたんです。

そしてアブラハムが睡眠状態に入ったところで、なんと神様だけがその動物の間を渡られたのです。


だから、ペナルティは神様だけ。

アブラハムはどんなに失敗しても罰則を受けません。渡っていませんから。


罰則を受けるのは神様だけです。





この契約は今の時代も結ばれたままです。一度も破棄されていません。

だから、今も神様は彼らを愛しておられるのです。



神様の愛と言うと、何か優しいふわふわした愛のようなイメージがあるかもしれませんね。

もちろん、神様は優しいお方です。私たちを慰め、励ましてくださいます。

でも、それよりももっと大きな愛で愛してくださっています。

それがこの契約に基づく愛です。



「どんなに失敗しても、問題を起こしても、私はお前を愛し続ける」という硬い愛でユダヤ人は愛されているのです。



私たちも同じです。

神様は私たちをも選んでくださいました。

だから今私たちはクリスチャンとなっているのです。



でもその選びはこれと同じ愛です。

ということは、私たちが何か失敗したり、罪を犯したりしても、神様の愛は変わらないし、一度救われたら絶対に救いを失うことはありません。絶対です。

たとえその人が自殺をしたりしても、犯罪に手を染めてしまってもです。


神様は今も変わらない愛で私たちを愛し続けています。この愛を受け取っていますか?

こんな私、確かにクリスチャンだけど、きっと神様は怒っておられるのだろうな。。。


いいえ、神様はあなたのことを本当に、心から愛しておられます。

今日、この愛の中に留まりましょう。私たちが愛されていることがわかればわかるほど、私たちは自由にされます。

あなたは愛されています。



祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。




でわでわ~
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