スィーツバイブル

~あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。
蜜よりも私の口には甘いのです~

神の慈しみと厳しさ

こんにちは~

今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう

今日の聖書箇所はローマの信徒への手紙11章22節です



 ――――― 今日のみことば  ―――――

だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。

倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。

もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。


 ――――― 今日のお勧め ―――――  



今日の箇所を見て、厳しいなと感じるかもしれませんね。

でも、忘れてはいけないのは、バランスが大切だということなのです。

確かにイエス様は優しいお方、愛に溢れたお方です。

でも何でもかんでもOKではありません。

たとえば、親は時に子どもを叱ることがあります。

それは子どもが難いからとかではありませんよね。

また、子どもに対して何でも「いいよ、いいよ」とする親は余りいないと思います。

もしそれをすると、結果、我がまま放題の人間となってしまいます。

正しいことは受け入れ、褒めてあげますが、間違った道に進もうとするならば、それを止めます。

この箇所はそれと同じなのです。

神様の慈しみと厳しさ、今日はそのことをご一緒に学ぶこととしましょう。



神様の慈しみと厳しさ、それは非常にバランスが取れています。そしてそれは私たちを義の道へと導くために必要なことなのです。



倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。

「倒れた者たち」、それは不信仰なユダヤ人ですよね。

彼らもまたユダヤ人であるので、無条件でアブラハム契約の中にいました。

しかし、彼ら、つまりユダヤ人のメシアとして来てくださったイエス様、ユダヤ人の救済のために来てくださったイエス様を拒否してしまったのです。

その結果が十字架ですね。

だから「倒れてしまった」、つまりアブラハム契約という守りという木から折られてしまったのです。

これは神様の厳しさです。でも、同時に愛のある厳しさなのです。

それは最後まで、彼らもまた悔い改め、イエス様をメシアとして受け入れ、救われることを待っておられるからです。


神様の愛はストロングな愛です。

「イエス様、優しいからいいんだよ。赦された罪人なんだから大丈夫」、そういう愛ではありません。

それは愛ではなく、甘やかしです。

神様の愛はストロング、厳しさと慈しみを兼ね備えた愛なのです。


さて、では「神様の慈しみ」とは何でしょうか。

それはまさに、私たちクリスチャンです。

前回、言いましたよね。

私たちは本来救いとは全く無関係な状態の中で生きてきました。

神様から離れ、偶像の中に生き、しかも死んだ人間を神としてしまう、霊的にはそういう世界の中に生きていました。



ここ数年、何か特別なことがあると、「神だ」とか、気軽に人やグッズを神としてしまうことに対して、正直抵抗を感じています。

もちろん、それは私たちの信じているお方とはかけ離れた自称カミです。

しかし、それと同時にこれが現代の「神観」であるということも言えます。

もちろん、これが全てではありません。

しかし、現代文化という面から考えたら、それも当てはまるでしょう。

私たちはそういう中から救い出されたのです。

自分でも感じない「罪」というドブの中で生きてきた私たちが、清らかな神の国へと召し出されたのです。

これは奇跡としか言いようがありません。

これこそ、神様の慈しみです。


パウロは、この「慈しみ」について言っています。


もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。

わぁ、なんて厳しい。。。。

そうお思いになられる方もいるかもしれませんね。

でも、考えてみてください。

留まらない状態って、どういう状態でしょう。

罪の中に生き続ける状態です。

ある意味、本人もわかっていることでしょう。

でも、それでも自分のその状態に居続けること、それが「とどまらない状態」です。

罪は最初違和感を持ちます。でもその状態に留まると麻痺し、そこに落ち着いてしまいます。

心の奥底ではいけないということはわかっていますが、でもこっちの状態の方が落ち着くので、いろんな言い訳をしてとどまり続けるのです。

「神様は優しいお方だから」とか、「神様の赦しの中でのこと」とか。。。

本当にそうですか?

こうやって自己正当化する、それが神様の慈しみから離れる状態です。

神様は聖書を通して、人を通して、その人を御自分に留まるよう、導こうとします。

しかし、それでもそこに留まるとき、神様はあえてそのままに置かれます。

これが「切り取られた」状態なのです。

でも、神様はその人を見捨てたのではありません。愛を持って、その人が立ち返ることを待っておられるのです。




みなさんはどうですか?

イエス様は今この瞬間も愛の御手を広げて、私たちを待っておられます。

私たちが悲しみの中にあるなら、共に涙を流し悲しんで待ってくださっています。

勇気を出して、思い切ってその愛の御手、優しさに溢れた愛の御手の中に飛び込みませんか?
弱さを持った、そのままでいいのです。立派になろうと努力する必要もありません。
ただ思い切って、そのままの姿で、イエス様の御手の中に飛び込めばいいのです。

イエス様の中に留まるとき、私たちの内側にご自身の慈しみと愛が溢れ続けます。

それは状態に関係なしにです。

イエス様は今も待っておられます。

さあ、優しい笑顔で待っていてくださるイエス様のもとへ行きましょう。

祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。。


でわでわ~
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福音とは - 私たちが救われるためには何をすればよいのか -

ハレルヤ、感謝します

ここ数週間、体調が悪くなり、みことばをお分かちすることが出来ず、大変申し訳ありませんでした。

今日からまたスタートさせて頂きます。

これからもどうぞ宜しくお願いします。


さて、今日はイースター、イエス様が復活されたことを覚えて感謝する記念日です。

そこで今日は、私たちの信じている福音ということについて、ご一緒に学ぶこととしましょう。


さて、福音とは何でしょうか。どうやったらクリスチャンになれるのでしょうか?

案外、この一番重要な部分を誤解している方が多くいらっしゃるのかもと、最近感じています。

ではその福音とは何でしょう?

今日は第一コリント15章3-5節のみことばから学ぶこととしましょう。



第一コリント15:3-5


最も大切なこととしてわたしたちがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。

すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。



実はこの箇所、福音がぎゅっと凝縮された箇所なのです。

この箇所を見ると、福音には三要素があることがわかります。



1、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと:

イエス様は、私たちの罪を取り除くために、十字架にかかって呪われた死を遂げてくださいました。


旧約聖書の申命記21章22-23節にこうあります。


ある人が死刑に当たる罪を犯して処刑され、あなたがたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。

木にかけられた者は、神に呪われたものだからである。

あなたがたは、あなたの神、主が嗣業として与えられる土地を汚してはならない。


「木にかけられた者は、神に呪われたものだからである。」

これこそ、イエス様の十字架です。

イエス様は私たちのために、本来私たちがかからなければならない木にかかってくださったのです。



時に、イエス様が十字架でなくてもよかったのではないのかという人がいます。

しかしそれは大きな間違えで、絶対に十字架でなければならないのです。

石打では罪の贖いになりません。

なぜなら、木にかけられた者が呪われた者となるのだからです。



旧約聖書の時代は、いけにえの動物を捧げ、その血によって罪が覆われました。

しかし、覆われたのであって、消え去ったのではありません。

血という覆いの下には罪があるし、捧げる大祭司も罪人です。

だから一時的な効果しかないのです。


しかし、イエス様は人の姿を取って地上生涯を歩まれ、最後に、ご自身の命を贖いの代価として差し出してくださったのです。

これが十字架の意味であり、ここに愛があるのです。




2、墓に葬られたこと:

イエス様は十字架で死なれた後、墓に葬られました。

この「墓に葬られた」ということは、実はとても重要なことなのです。


ローマ法では、十字架に架けられた罪人は埋葬されず、そのまま放置されました。

だから鳥がその死骸を食べ、地に落ちたその死骸を野の獣が食べたのです。

だから十字架刑は本当に酷い刑であり、決してきらびやかでもおしゃれでもありません。

もともと十字架は見せしめの刑です。だから埋葬せず、最後の最後まで放置するのは当然です。



でも、イエス様の場合はそうではありませんでした。

ヨハネによる福音書19章38節を見ると、アリマタヤのヨセフという人がピラトに自分のお墓に入れて埋葬したいと願いでたとあります。

このアリマタヤのヨセフという人、密かにイエス様を信じていたユダヤ人の弟子で、お金持ちの人でした。

この人が最後の最後に勇気を振り絞って、イエス様を埋葬する許可を求めたのです。

また、イエス様にどうしたら生まれ変わる事ができるのか質問したニコデモも協力しました。


このことをイザヤは預言しています。

彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに、その墓は神に逆らう者と共にされ、富める者と共に葬られた。(イザヤ53:9)


イエス様がお墓に埋葬されたということは、完全に死んだということです。そしてイエス様がメシアであることを証明しています。

なぜなら、イエス様がお墓に葬られたことによって、次の復活があるからです。



3、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと:

イエス様は復活しました。

これは客観的であり、歴史的な事実です。


イエス様は金曜日の午後3時に十字架にかかられ、土曜日が安息日、安息日が明けた日曜日の朝には復活されたのです。

イエス様が復活されたことは旧約聖書で預言されています。

あなたはわたしの魂を陰府(よみ)に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見せず(詩16:10)

イエス様は墓におられないのです。何故なら、イエス様は復活されたからです。


そしてペテロやその他の12弟子に現れ、そして500人以上の人たちと会いました。

そして最後にパウロにもお会いになられたのです。

イエス様の復活は、これだけの証人がいるのです。




イエス様が復活されたこと、それは父なる神様がイエス様の死を贖罪、つまり犠牲の捧げ物としての死であることを受け入れてくださったことの証拠です。

イエス様が十字架上で呪いとなられ、血を流されたこと、それは私たち全人類、そのとき生きていた人、そして未来人、つまり私たちの罪を一心に身に負われ、その犠牲の捧げ物を父なる神様が受け入れられ、今、私たち信じる者の罪が取り除かれ、自由とされ、クリスチャンとなったのです。


イエス様が復活したこと、それは初穂です。つまり、将来、私たちクリスチャンもイエス様のように死者の中から復活することを経験するのです。


これが福音の三要素、イエス様が私たちのために十字架で死なれたこと、墓に葬られたこと、三日目に復活したことです。



あなたはこの三要素を信じますか?

アーメンなら救われています。立派なクリスチャンです。

それだけでよいのです。逆にそれ以外のもの、たとえば、洗礼を受けなければクリスチャンになれないとか、そういうことは絶対にありません。

もしそうなら、信仰によって救われるということでありません。業です。

単純にこの三要素を信じ、そこに信頼するだけ、それ以上必要ありません。



どれだけ教会に行ったか、聖書を読んだか、社会の役に立ったか、クリスチャンらしい振る舞いをしているか、そんなものはどうでもいいです。

振り回される必要はありません。

これらのことは、信仰の実であって、救いとは何の関係もありません。



イースターはこの福音の三要素を感謝し、イエス様を見上げ、礼拝する日です。

でも逆に言えば、私たちはこの日、3月31日だけがイースターではないのです。365日24時間イースターであり、クリスマスなのです。

ご一緒にこの福音の三要素を感謝し、イエス様の復活を心いっぱい賛美し、礼拝する時としましょう!



祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。。

でわでわ~




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私たちが救われたということ


こんにちは~

今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう

今日の聖書箇所はローマの信徒への手紙11章19-21節です


―――――― 今日のみことば ――――――


すると、あなたは、「枝が折り取られたのは、わたしが接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。

そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。

思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。

神は、自然に生えた枝を容赦されなかったとすれば、恐らくあなたをも容赦されないでしょう。



―――――― 今日のお勧め ――――――  


前回の学び、覚えておられるでしょうか。

パウロはオリーブの木のたとえを通して、異邦人に対して警告を発しました。

オリーブの木のある枝が折り取られ、そこに野生種の枝が接ぎ木されたという話を通してです。

野生種の枝は異邦人、つまり私たちクリスチャンです。

栽培種の木に野生種である異邦人が接ぎ木されたのです。

この木とは、アブラハム契約です。

つまり、ユダヤ人と神様との間で交わされたアブラハム契約に私たち異邦人クリスチャンも加えてくださったのです。

これが前回の学びでした。今日はその続きです。



すると、あなたは、「枝が折り取られたのは、わたしが接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。(19)


パウロはイスラエルが折られたこと自体を否定していません。逆に肯定しています。

「そのとおりだ。確かにイスラエルは不信仰によって折られた。そして、その代わりにあなたがた異邦人が接ぎ木されたのだよ」と。



20節を御覧ください。そのことが書いてありますね。

そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはいけません。


パウロは、あなたがたは不信仰なユダヤ人の代わりに接ぎ木された存在なのだ。思い上がってはいけないとここで言っているのです。



「思い上がってはいけません」

新改訳聖書では「高ぶらないで、かえって恐れなさい」と訳されています。

そうなんです、神様の一方的な恵みによって、私たち異邦人クリスチャンは、アブラハム契約の中に接ぎ木してくださったのです。


考えてみてください。クリスチャンホームの方は別として、私たち日本人クリスチャンは最初、イエス様とは全く関係のない世界に生きていました。

お正月には当たり前のように初詣に行き、七五三にはお宮前リ、キリスト教とは遠い世界に生きていました。

クリスチャンホームの方々もそうですよ。

皆さんのご両親はそういう状態だったのです。

そういう中から、神様は救いへと導かれ、その恵みによって、生まれる前から祈られ、祝福されて誕生したのです。


そのことがわかると、決して高ぶることはできませんし、思い上がることもできません。

私たちは野生種の枝で、常識ではあり得ないことが今起こっているのですから。




今、私たちはアブラハム契約の中に接ぎ木され、入れられました。それと同時に残された少数ではありますが、ユダヤ人の人たち、真の信仰者であるユダヤ人も共に一本の木に枝としてつながれているのです。

これこそが、神様の御心なのです。


私たちはユダヤ人を攻撃したり、批判するのではなく、彼らのために祈ることが大切です。

本来栽培種の枝である彼らがイエス様と出会い、イエス様を受け入れ、再びアブラハム契約の中に繋がれるようにです。


アブラハム契約は今も有効であり、神様の御心は今もユダヤ人の救いです。





さて、次の21節はとても難しい箇所であり、誤解を与えやすい箇所でもあります。



神は、自然に生えた枝を容赦されなかったとすれば、恐らくあなたをも容赦されないでしょう。



この箇所は、私たち救われたクリスチャンの救いが失われる可能性があるということではありません。

私たちは一度救われたら、絶対に救いから漏れることはありません。

たとえば、何かのことで自殺をしてしまったとしても、その人がイエス様の十字架と復活を信じ受け入れていれば、魂は天国に入れられます。

ただし、報酬が受け取れるかどうかは別ですけど。。。

だから安心してください。



聖書は圧倒的多数の箇所で、「神の恵みによって救われたのならば、必ず神が守ってくださり、救いを失われることはない」と教えています。

ですから、この21節だけをもって、それを覆すような教えをしてはいけません。




では、ここはどういう意味なのでしょうか。

個人の救いのことを言っているのではありません。

そうではなく、ここは、自然に生えた枝、つまりユダヤ人を容赦されず、祝福の源から切り離されたように、せっかく救われた私たちも傲慢になり、信仰から離れていくならば、神様がイスラエルにしたように、矯正的裁きをされるであろうということです。

神様は私たちを正すために裁きを下すでしょう。

そして頑なな状態に放置されることとなるでしょう。

結果、この世での生涯、本来の使命に喜んで生きることが出来なくなります。

このことをパウロは異邦人クリスチャンに警告しているのです。





私たちが救われたこと、それはまさにあり得ないことです。

多神教で、キリスト教に対して閉鎖的なこの国で救われ、クリスチャンとなったこと、それは恵みとしか言い用がありません。

私たちはそのことをもう一度思い起こし、主の愛を、主の優しさを味わい、感謝する時をお互いに持ちましょう。




祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。。

でわでわ~




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